人類史上、公文書の中で初めて核兵器を糾弾したのは何か?
一般に見逃されがちだろうが、昭和20年8月14日の「終戦の詔書」に他ならない。
その一節にこうある。「敵ハ新(あらた)ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ、頻(しきり)ニ
無辜(むこ)ヲ殺傷シ、惨害ノ及フ(ぶ)所、真ニ測ルヘ
(べ)カラサ(ざ)ルニ至ル」と。「残虐ナル爆弾」が広島・長崎に投下された原爆を指すことは、
改めて言う迄もない。「残虐」にも「惨害」にも、強い糾弾の気持ちが込められている。
しかし、それら以上に「頻ニ無辜(=何の罪もない一般国民)ヲ殺傷シ」は、
満身に漲(みなぎ)るような深い憤りの表現だろう(アメリカによる原爆使用は
勿論、戦時国際法上の重大な戦争犯罪だった)。
この部分は、詔書の草稿の第7案(閣議には第6案が提出されたと考えられるから、
同案には閣議での検討内容が反映された)に初めてカッコで挿入され、
昭和天皇のご親署を戴いた詔書原本(!)にさえ、
通常なら全くあり得ないことながら、やはり同様になっている。これは、強烈な印象を与える同表現を、本文に加えるかどうか、
最後まで慎重に検討された事実を示しているだろう。
「詔書」という、天皇のご意思を示す最も格式の高い文書の中で、
特定の兵器をことさら取り上げること自体が異例ながら、先の挿入部分ほど
露(あらわ)な道義的弾劾は他に類例を見ないだろう。それは、「敗戦国」の意志表示としては、まさに破格ではあるまいか。
核兵器への批判は、戦後の日本では最もメジャーな潮流だったはず。
だが、昭和天皇の「終戦の詔書」における核兵器糾弾こそが、
その“先駆け”だった事実は、殆ど顧みられなかった。
それは、左派にとって昭和天皇はその“戦争責任”を非難されるべき
存在でなければならず、右派にとっては核武装を目指す場合の障害に
なりかねなかったから、だろうか。しかし、隠しようのない明らかな事実だ。
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